岸本探偵ブログ

経験豊富な女流探偵がお悩みごとのアドバイスをいたします

江戸の忍者~明治の探偵へ

江戸の忍者~明治の探偵へ

「日本に於ける探偵のルーツ」第三話

忍者の諜報活動には目力・洞察力・機転は必要不可欠でした!!

江戸時代に入り伊賀国の上忍三家は結束し戦国大名に支配されない地域を形成していたが、忍者の手法であるゲリラ戦も再度の大軍を編成した信長に攻め込まれ、伊賀国の忍者集団は壊滅的打撃を受けた。百地丹波約100名は紀州半島の根来へ落ちのび、方や伊賀・甲賀の一部は本能寺の変の際に堺見物に来ていた家康を護衛し伊賀越えを行った事から、約200名が徳川幕府に召し抱えられるも、城攻め等の危険な最前線に投入され約70名が死亡したとされる。

一方、以前より徳川の家臣であった服部半蔵は重用され、諸大名の内情探査や大奥の警護等を担当し、同心として江戸城の治安の警護に当たった。しかし家光の代で武断政策を強硬した為、浪人が増加して社会問題となり、島原の乱や慶安の変など一揆が多く発生した。して甲賀は秀吉の家臣の支配下となるが、そこも浪人が増え没落して行った。

江戸から明治新政府へ移ると、政府は警察・陸軍・海軍を創設し忍者はその役目を終える事となった。活躍の場を失った彼等は陸軍や警察関係の職業などや、技能を活かす為に創設された職に就いた者、職業選択の自由が出来た事で全く違う職に就いた者など生きた経緯は別れた。「探偵」とは古くは警察・民間を問わず捜査活動を行う人を指した語だが、江戸時代では同心や岡っ引などが「探偵方」とも呼ばれ、明治に成ってから巡査や刑事が「探偵」と呼ばれていた。

明治20年代(1887-1896年)には私立探偵が登場し、次第に警察官は探偵とは呼ばれ無く成ったが、政府は政治犯・常事犯の密偵や軍事上や外交上の密偵等のスパイ活動を展開する。その彼等は軍事探偵・国際探偵と呼ばれていた。同じく民間では私密偵が多く誕生し、私立探偵社や興信所が次々と誕生したのも、この時期である。また近代日本経済の父と言われた渋沢栄一氏の手に依り経済調査を担う興信所も誕生する。明治24年5月、朝日新聞帝國探明會という調査業者と思慮される企業が「詐欺師の盗人の所在・他人の行動調査を実施」との旨の広告を出稿していた事が国会図書館に残されており、既に当時に新聞広告が出稿されていた事実を知り少し驚きを感じた。

ジャーナリスト・新聞紙研究家・江戸明治期の世相風俗研究家

余談だが、当時のジャーナリストの宮武外骨(1867~1955年)氏の著書に大正15年発行の「明治密偵史」が有るが、当時は新政府を転覆しようとする数々の乱が起こり、明治政府が放った密偵に就いての概説等が描かれており、中々調査業に携わる者には興味ある作品です氏は反骨のジャーナリストで大阪で発行した大ベストセラーの滑稽新聞のモットーに「威武に屈せず 富貴に淫せず、ユスリもやらず、ハッタリもせず」とあり、また「強者を挫いて弱者を扶け、悪者に反抗して善者の味方なる」との趣旨の物もあり、風刺画入りで発行し人気を集めたとの事である。後年に揶揄する人もあるが、明治は近代日本の幕開けでも有り、善し悪しも含め色んな分野で活躍した人物が排出された時代でも有ります。その精神を今の時代を担う私達は見習うべき点が多々有るように感じた次第です。

以上をもって探偵のルーツとされる忍者シリーズの投稿は終了します。このシリーズで私が学んだ事は今更では御座いますが、時代の違いは有れ調査業に求められる事は諜報力・情報力・判断力・機転等々である事を再認識させられました。その後の探偵・興信業の流れに就いては当初に記事を投稿していますので、宜しければご覧ください。 岸本美智子

浮気や不倫の調査
ご存知でしたか?

一番に多いご依頼は…浮気・不倫の調査です!

時代が移り変わっても浮気・不倫の問題は減少する事はありません。
以前は主に夫や交際相手の男性を対象とした調査でしたが、近年は女性の社会参加やSNSの影響などもあって、男性からパートナーの浮気・不倫調査依頼もずいぶん増えました。
昨今、3組に1組の夫婦が離婚(厚生労働省資料による)しており、他人事ではないのが現状です。

大阪、神戸など関西の『浮気・素行・所在』調査は女流探偵調査会社 株式会社 岸本総合リサーチ

ルーツ・浮気・素行・所在などの問題は一人で悩まず、お気軽にご相談ください。
0120-120-848(年中無休・お見積り無料)

お問い合わせ »